【エフェス遺跡・T】

İsmir Hoş geldiniz!
エフェス(efes エフェソスとも言う)は、紀元前11世紀以降、アルテミス神殿を中心建設された古代都市。ヘレニズム時代からローマ時代にかけ、様々な帝国の支配や占領を受けながらも発展し、宗教・政治・貿易の中心都市として繁栄しました。
その規模と美しさから、ベルガマと並んで「エーゲ海の2つのバラ」と言われ、宗教間の融和と興味深い変遷をとげた大都市としても広く知られています。

ローマ時代の遺構から発掘された、様式を異にする数々の建築物は、かなりの見ごたえがあります。
大都会エフェスは、神殿、音楽堂、病院、図書館、劇場、教会、市役所、議事堂、風呂、娼婦の館、バザール、お墓、体育場、競技場、総督邸宅などの施設を備えており、上下水道も完備していました。

都市名としてのエフェスは現存していませんが、エフェス遺跡への観光拠点は、ここから約3qのところにあるセルチュク(Selçuk)という町になります。
なお、エフェソス遺跡の発掘は、大英博物館の援助を得て1959年に始まり、現在も作業は続いています。


  ▼エフェス遺跡1写真集▼




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 ▲ワンポイント!  エフェスの長〜い歴史を短く紹介

 紀元前16〜11世紀頃、ここにはギリシアから移住してきたイオニア人によって建設された、アルテミス神殿を中心とする都市がありました。
 しかし、紀元前7世紀にはキンメリア人によって町も神殿も破壊されてしまい、再びリディア王クロエソスの時代に再建されることとになります。
 その後、ペルシャのキュロス大王による征服に遭いますが、時代はやがてアレクサンダー大王の台頭により、ヘレニズム期へと突入していきます。
 紀元前4世紀、アレクサンダー大王の死後、大王の将軍だったリシマコスはペルガモン王国を建国し、エフェスはリシマコスによって統治されることになります。
 なお、この時、自然災害による土砂の堆積・疫病の発生などが起こったため、リシマコスはエフェスを現在エフェスの遺跡がある場所へと移動しています。
 その後支配権はローマに移り、紀元前133年エフェスはローマの属領になりましたが、アウグストゥスの頃より、肥沃な土地と交易によって、アジア州の首都となり、
 人口50万を超える宗教・政治・貿易の中心都市として繁栄し、エフェスはいよいよ全盛期を迎えることになります。
 しかしながら、2世紀頃になって繁栄の源であった貿易港が再び災害によって埋没してしまうと、エフェスの都市機能は低下し始めます。
 269年にはゲルマン人一派のゴート族から攻撃を受け、更には381年、キリスト教勢力が増大したローマ皇帝テオドシウス1世の命でアルテミス信仰の神殿が全て閉鎖され、
 7〜8世紀頃になるとアラブ勢力からの攻撃にも遭い、人々は次第に衰退したエフェスを捨てて現在のセルチュク付近へと移住してい行ってしまいます。
 14世紀オスマントルコ時代、神殿の石材さえ切り出されてしまったエフェスはとうとう完全な廃墟と化し、忘れ去られ、古代都市遺跡へと変貌していきました。

 (ふぅ。ちかれた〜。 でも、知ってた方が、もっと楽しい、でしょ?!)



 マーブルロード(マーブル通り)
 ケルスス図書館と大劇場をつないでいた街の中心を貫く大通り。なだらかな坂道になっています。大理石を使って美しく舗装されており、よく見ると、わだちの跡が残っていたり‥‥。
 この日は風もなく、気温は36度!乾燥しているせいか不快感はありませんが、焼けた敷石や石柱に触れると暑さを実感します。
 当時は木陰も多かったでしょうし、ほとんどの建物や店などに屋根があったそうなので、むしろ大理石通りは涼しげだったのかもしれません。




世界中から観光客を集めています。
様々な言葉で解説される遺跡たち。

遠景はピオン山か。
石柱跡。
その台座と破片。



 マーブルロードからクレテスロード(クレテス通り)へ
 ヘラクレスの門とケルルス図書館を結ぶ通り。かつては道の両側が有名人の石像で飾られ、高級住宅やお店が軒を連ねていたそうです。舗装と石柱の修復は4世紀。

中央奥にはケルルス図書館が。



yuniyuni撮影によるママ。
暑い!
結構、距離ありそうだよなぁ。



 ケルスス図書館(セルシウス図書館)
 アレキサンドリア図書館、ペルガモン図書館と並んで、世界三大図書館の一つ。12万冊の蔵書を誇っていたそうです。
 110〜135年、ローマ帝国のアジア州執政官をしていたケルルスの息子ガイアス・デューリアス・アクワイラにより、ケルススの霊廟として建てられました。
 図書館の一部は、ウィーンのエフェソス美術館に移築されているそうです。 

 実は、この図書館にはこんな秘密が。 図書館の下には地下道が通っており、なんと、売春宿へとつながっていたらしいのです。お勉強を済ませたら〜、‥‥むにゃむにゃ。
 このむにゃむにゃなお宿は、エフェス遺跡Uでご紹介いたします。


通り沿いに並ぶ商業アゴラと、
マゼウとミトリダテスの門。
後方にはケルスス図書館。
遺跡の中央に位置するのがこの、
ケルスス図書館。修復も進んでおり、
今やエフェスのシンボル。
4つの女性像はそれぞれ、
知恵、運命、学問、美徳の象徴。
首から上がない像もあります。
通りを折れて階段を下り
図書館前の広場へ。
モデルはyuniyuniママ。


復元されているのは門のみになりますいが、近づいて見ると、実に細やかな模様が施されていて優雅。
当時は、大理石に彫刻を施す彫り物師というのが、最もお金の儲かる職業だったそうですよぉ〜。
コリント式とイオニア式が混合しているらしく、歴史的を紐解く鍵としても研究され続けているレリーフ。
はめ込まれている女神像。
何の女神かしら。運命?美徳?
台座の文字はAPETH‥‥



▲ワンポイント! エフェスを訪れた著名人
歴代のスター?が、時代をまたいで世界中から次々に来訪!さすが大都会エフェス!! 
きっと、知ってる人、多いですよね〜。 →アマゾネス女王、クレオパトラ、アントニウス、聖パウロ、聖ヨハネ、聖母マリア、ブルータス、カエサル‥‥。



これは何だったのか‥‥只今調査中です。
サウナか!? わかった人、教えて。
水洗トイレの跡。下水道もバッチリ整備!なんと手洗いは別になってました。
4.5時間座っておしゃべりを楽しんだと言いますが〜、プライバシーは皆無。

水道管として使われてた焼き物。
発掘現場に山積みされてました。

efesの入場チケット。
日本円で1300円くらい。他の遺跡よりちょっと高め。

 図書館などは262年読書室が焼失、6世紀には地盤沈下による浸水等もあったそうですが、殆ど形を成さないトロイ遺跡を思えば、驚くほどの保存・復元状態にあると言えますネ。
 一方、間違えて復元しちゃった遺跡などは、この続き、エフェス遺跡・Uで登場しますよ。
 それにしても、遺跡の一部がウィーンのエフェソス美術館に‥‥。今度はオーストリアか〜! 復元作業のサポートを依頼したばっかりに、またこうして‥‥。




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