【ペルガモン遺跡】

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ヘレニズム期からローマ期、ペルガモン王国の首都として栄えたペルガモン(Pergamon。現在のベルガマBergama)は、ヘレニズム文化が華ひらいた都。とりわけ文化・芸術を保護したことで知られています。
見どころは、アクロポリス(Akropolis)とアスクレピオン(ページ末に注アリ)とに分かれていますが、ここでは主に、アクロポリスについてご紹介いたします。

アクロポリスには、紀元前4世紀に建てられたアテナ神殿、世界最大級の蔵書を誇った図書館、急斜面を利用した扇形の大劇場、紀元前2世紀初頭に建てられたゼウスの祭壇などがあります。

劇場を抱き込むように広がるアクロポリスは傾斜のきつい場所にあり、足場もよくないので、劇場を見下ろすだけにとどめても、一周するには約1時間ほどかかります。

   ▼ペルガモン写真集▼




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 アクロポリスとは高い街を意味し、身分の高い者に許された神に近い神聖な場所とされていたそうです。
 車を降り、標高300mほどの山の頂上を目指して急な坂道を登ると、そこには野の花が咲く丘があり、青空のもと高い城壁が迫っていて、まるで天空の城ラピュタのよう‥‥。

 坂の途中、ガリア人との戦いの勝利を記念したゼウスの祭壇跡を見下ろすことができますが、
 本体である神々の彫刻は、1875年にベルガマの道路建設にたずさわったドイツ人によって持ち帰られ、ベルリンのペルガモン博物館に展示されています。





 エウメネス2世の時代に造られたペルガモン図書館は、20万冊もの蔵書を誇り、エジプトに次いで世界第2位の巨大図書館。
 建物はアテナ神殿のストア(柱廊)につながっていたそうですが、今では礎石が残るのみ‥‥。

 ▲ワンポイント! 本は一体、どうなっちゃったの?
 紀元前43年、ローマのアントニウスが、アレクサンドリア図書館が焼失してしまいがっくりしていたクレオパトラを喜ばせようと、全部、あげちゃいました。 えー!?

遺跡は野ざらしでも草木は手入れされてる?
これは、キョウチクトウ。
各人の身分に応じて、
歩く道が決まっていたのだそうです。





 紀元前281年、文化に力を注いでいたペルガモンを恐れたエジプトは、パピルスの輸出を禁じたそうです。
 そこでペルガモンは、羊皮紙(パーチメント。ペルガモンの紙の意)を発明。パーチメントは、大量生産できないものの柔らかく丈夫で、両面に文字を書くことができました。
 以後、書物は巻物から保存し易い冊子の時代へと移行していくことに‥‥。


こうした遺構がいくつも見られます。

手前はイチジクの木。

これは図書館の土台部分。
復元が待ち遠しい‥‥。




 紀元前4世紀に建てられたアテナ神殿です。女神アテナを祭っています。
 現在は土台が残るのみですが、古代アテネの象徴パルテノン神殿と同じく、ドーリア式の柱が60本以上あったそうです。





 ペルガモンのシンボル、トラヤヌス神殿。典型的なローマ期の神殿です。真っ白の大理石が青空に映えて美しい‥‥。
 トラヤヌス帝の時代に着工され、完成はハドリアヌス帝の時代。
 神殿の3方はこれらの列柱に囲まれ、コロネード(回廊)になっていたのだそうです。









 トロイ遺跡のみならず、ここでもドイツからの観光客の姿を多く目にしました。遺跡や出土品もかなりドイツに流出?してますし‥‥。



ちょっと一休み。記念撮影デス。
yuniyuni&yuniyuniママ、急な階段や足場の悪さにはまいりました〜。
(yuniyuniは、すでにトロイで、左足首ひねってます)


 ▲ワンポイント! どうやって大理石に穴を空けたの?
 ポプラの木(トルコ全土で最も多く見られた木)からしたたる雨水を使ったそうです。穴を空けておいて割り易くもしたとか。 さすが!

コリント式やイオニア式の柱が天を指してそびえています。現在も修復作業中なのだそうです。

列柱の間からは麓のベルガマの町が。
絶好のパノラマが見渡せます。
右下を見下ろすと、そこには湖が。
この湖はダムになっており、
農業用に使われているのだそうです。

思わず足がすくむ急勾配。
ひきつり笑顔で応えるyuniyuniママ。


 ペルガモン大劇場。 市街を一望できるこの丘に、約1万人を収容できます。観客席は80段、踊り場は2ヶ所。
 末席まで音響効果はバツグンだとか。中央の貴賓席は大理石造り!ステージは、催し物があった時だけ木で組まれたそうです。
 丘の上(上市と呼ばれる)からは、客席に抜けられるトンネルが併設されています。

旅仲間のW氏と。撮影はyuniyuniママ。
撮影場所を教え合う写真仲間でもありました。
左下には劇場跡。
上部には連なるアーチ型のトンネルが。
アテナ神殿の柱?も転がってます。
大劇場の下にも更に遺跡群が。
時間の関係?捻挫の関係?で客席へは行けず。
さすがに眺めは素晴らしいでしょうが、
降りるのにも大変そうです‥‥。

無造作に置かれていた大理石のレリーフ。
ライオンはローマ帝国のマーク。
丘の中腹にはこうしたトンネルが掘られています。
かがまず通れる高さ。ひんやりしていて水の気配もあり。
当時こうした通路は、いくつもあったのでしょう。



ペルガモンは、アレキサンダー大王のアナトリア侵攻後、第2のアテネと呼ばれるほど繁栄しました。
紀元前2世紀、イタリアを中心に地中海の覇者となりつつあったローマ帝国に占領されますが、帝国下でもなお、繁栄を極めます。
しかしながら、8世紀になるとイスラム教化したアラブ人によって侵略され、14世紀にはオスマントルコの干渉により衰退していきました。
現在のベルガマは47,000人ほどの小都市。


右の写真の泉は、上り口付近にあります。中央にうまくコインが乗っけられると願い事がかなうとか?
むぅ! ‥‥yuniyuni、5円玉で失敗〜。
でも帰りに、トルコ人のお兄さんから、ナザレのブレスレットやブローチもらったりしたからいっか‥‥。



 注:アスクレピオン 政治・祭事の中心であったアクロポリスに対して、こちらは総合医療施設。
投薬(薬草)、水浴(ラジューム泉。今も出てます!)、マッサージ等のリハビリの治療の他、暗示による精神療法まで受けられました。
また、図書館や劇場も備わっており、一種の音楽療法?リラックス療法?も行われていたそうです。
ただし、病棟までは、聖なる道と呼ばれる850mの参道を自力で歩かなければならないため、重病人や回復する見込みのない病人は受け入れられなかったとか(-_-;。
アクロポリスからは車で約20分。30分ほどで一周できます。



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Geri
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