【ヒポドゥローム】

İstanbul Hoş geldiniz!

hipodrome(ヒポドゥローム)とは、ブルーモスクとアヤソフィアの間にある、古代競馬場跡のことですが、トルコではAt Meydani(アト・メイダヌ)と呼ばれ、公園として市民の憩いの場にもなっています。

203年に創設され、最初の馬車レースが行われたそうです。
以後、外国使節の接受や凱旋式、敗戦国の投降式の会場となったり、ローマ・ビザンチン時代には、戦車のレース(引くのは馬!)が行われたりもしました。

かつてはトラック中央に、世界各国から持ち込まれた柱、像、オベリスク、日時計などが展示されていましたが、破損したり持ち去られたり‥‥。
現存するのは、たった3本のオベリスクのみに‥‥。


    ▼ヒポドゥローム写真集▼




↓画像をクリックすると拡大表示されます↓

     この3本のオベリスク、レースの折り返し地点やゴールを示す回転標として使われていたようです。
     最初にご紹介するのは、紀元前15世紀にエジプトで建てられたという、エジプトのオベリスク、
     次は、479年、デルフィのアポロン神殿から届いたという、ヘビのオベリスク、
     そして最後は、コンスタンチヌ7世が940年に造ったという、コンスタンチノーブルのオベリスクになります。
     
エジプトのオベリスク。左はフィルムカメラ、右はデジカメで撮影。
実際は、全長60mあったそうですが、
運搬中に破損し、上部20mだけが据付られています。

ヘビのオベリスク。
こちらは上部が欠けていたり‥‥。
下部は地中に埋め込まれていました。

ウィルヘルム2世の泉
1895年にオスマン・トルコを訪問した
ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が贈呈。

ウィルヘルム2世の泉の天井部。
金箔で塗られ、美しく装飾されています。
アラビア文字やアッラーのマークも。
ウィルヘルム2世の泉に取付けられた蛇口。
おしゃれです。水は出ません
出ます!トルコの女性が手を洗ってたらしい。

オベリスクの台座部分近影。
右の写真を見てみると、
エジプトのオベリスクが乗ってますよね。
コンスタンチノープルのオベリスク。
昔は青銅で覆われていたそうですが
十字軍の略奪によってすべて剥がされ、
今では剥き出しのただの石灰岩‥‥。

屋台のシミット屋さん。
オベリスクの間を、こうして売り歩いています。
イスタンブール市内ではよく見かけました〜。
遠足?社会科見学?で来ていた子供たち。
先生の説明もそっちのけで「写真撮って〜!」と、
駆け寄って来られちゃいましたので(^^;
「メルハバ(こんにちは)」と言おうとすると「Hello」
え?学校で教えられるのは、英語なのだそうです。



     オベリスクのみならず‥‥
     トルコの貴重な文化財や遺跡が、破壊された、或いは略奪された、という悲しい歴史に、たくさん遭遇してきました‥‥。

     次は、アジア大陸とヨーロッパ大陸をつなぐ、イスタンブールのフェリーをご紹介いたしますね。



NEXT→
∴イスタンブールのフェリーへ



←PREV
∴イスタンブール編:TOPへ




Geri
【yuniyuniのトルコ旅行記】


The plan in a 【YUNIYUNI】 site.