【トロイ遺跡・U】

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トロイ遺跡の見学順路は年代ごとにほぼ決まっており、一周するには30分から2時間程度を要します。
印象はというと、整然としているということは決してなく、かなり地味でもあります。
ホメロスの「イリアス」を今一度読み返し、映画「トロイ」の中に再現されていた映像を脳裏に描きつつ訪れたのなら、感動は増幅されていたのであろうと反省しています。
遺跡としての考古学的な価値の高さは、知識量に比例して実感されるものなのかもしれません。

右の写真は、メガロンと呼ばれるギリシア式建築様式の住居跡です。
この付近は、トロイ戦争当時、海岸に近い地域であり、城壁に囲まれた要塞のような住居郡があったと言われています。
攻め寄るギリシャ軍の兵士たちや無数の船を、この丘の上から見下ろす景観は、どんなにか壮観で迫力あるものだったのでしょう。

     ▼トロイ写真集2▼




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 第1市。トロイ遺跡最古の紀元前3000〜2600年。初期青銅器時代の住居跡です。火災により、その大半を焼失しています。



平原を見下ろせる丘陵地にあります。ここはスゴイ!第1市から第9市までがひと所に発掘されてます。


 攻め入られ難いよう配慮し、曲がり角などが多くとられたトロイの町並み。
 住居は高い石段の上に造られ、屋根から出入りしていたそうです。
 また、野生の動物を避けるため、ねずみ返しもついていました。



 よく見ると、無造作に転がっている石にも住居跡らしい遺構があったり何かの模様が刻まれていたり‥‥。
 修復等を目的として円柱などに番号は付されていますが、ご覧の通りの野ざらし状態。本当に無事復元できるのかどうか心配です。
 恐らく、100年後も200年後も、発掘中になるのでしょうね、ここトロイ遺跡は。



 シュリーマンは2mくらいずつ横にまっすぐ掘るという発掘方法をとったそうですが、遺跡は通常、時代ごとに縦に発掘するもの。伝説に忠実なのはいいけれど‥‥。
 彼が財宝を求めて掘り当てた遺跡が、彼の予想に反して更に以前のものであったために、その間の時代に形成された遺跡の殆どが潰されるという結果に。
 


今まさに、発掘中の現場の写真です。正直言って、こんなんでいいの?という印象。
もっとも、シュリーマンによる発掘の際には、数人がかりで木を持って走ってきて、思いきりぶつけたそうですが。
きゃーー!やめて〜!!




 エーゲ海と黒海を結ぶダーダネルス海峡が見渡せる、第8市(紀元前900〜350年)のはずれより。

左は、フィルムカメラによる撮影。右は、デジタルカメラによる撮影。
「足元に貝殻を見つけられることも」というガイドさんの説明もありましたが、残念、yuniyuniには発見できず。



トロイ戦争の激しさを彷彿させる真っ赤な芥子の花。
いつの頃からの花の種だというのか‥‥。
遺跡の間に点々と咲いていました。



人の高さで12人分はあったという、高〜い城壁跡。
前1700〜1250年頃とされる第6期の遺跡。





 最終見学ポイント第9市、ローマ時代の遺跡へ。
 第8市には初のギリシャ人町イリオンが築かれ、アレキサンダー大王も訪れたそうですが、ローマ時代になるとローマ皇帝も訪れ、劇場や議事堂を造営したそうです。
 この時代の遺跡が最もわかりやすく、イメージし易い形で残っていました。


円形劇場跡です。音楽堂として使用されていたとか。
座席数も少なく規模は小さいですが、ほぼ完全な形をとどめています。
当時は、木造の屋根がついていたそうです。







同じく第9市の聖域です。祭壇と井戸が並んでいます。
中央の高い壇は、生贄を捧げる台。
井戸は2つあり、一方には生贄の血を集め、もう一方にはその血を流したと言われています。


トロイ遺跡の入場チケットです。
自動改札型の読み取り機に通すと、簡単なゲートが開きます。


 トルコ政府による遺跡の紹介(英文ページ) →トロイ遺跡



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